何を選ぼうとしているのだろう

~選挙のたびに感じるモヤモヤ~

今回は動物たちは出てきません

もちろん、動物関連のいろいろな法整備ということに関しては、大事なことではあり、

そもそも人間も動物ですけどw

 

ひょっとしたら、昔からそうなのかもしれませんが、

特に最近は選挙が近づくと、強烈なモヤモヤが…

何を良くしたいのか、どんな社会を目指しているのか。

そういう話よりも、誰が間違っているのか、誰が信用ならないのか。

そんな言葉のほうが、前に出てきているように感じますよね。

 

もちろん、問題点を指摘すること自体は必要だと思います。

過去の失敗や矛盾に目を向けることも、大切な作業です。

自分の行動や発言に責任を持たず、言いっぱなし、やりっぱなし、は良くないですからね。

ただ、それが主役になってしまったとき、

私たちは本当に「これからの話」をしているのだろうか、

と、思ってしまうんですよね💦

 

「正解がない前提」で、皆で試行錯誤しながら、

どこかに落とし所を探していく。

本来、政策論争って、そういうものだと勝手に思っていました。

誰かの意見が100%通ってしまう、というのも、正直ちょっと気持ち悪い。

それなら、多くの人が存在する意味って何なんだろう、とも思ってしまいます。

 

でも最近目にするのは、

相手の足元をすくう言葉や、

一部を切り取って強調する表現。

それが、議論を深めているようにも見えず、

ただ立ち位置を固めるための作業に見えてしまうことがあるんですよね。

もっと言えば、その立ち位置さえ、自分たちで決められていないように見えることもあります。

まるで、もう今は亡き誰かが、

味方や敵を決めてくれる“お告げ”を出しているかのような場面まで(笑)

 

もちろん、SNSの影響も大きいのかもしれないですね。

複雑な話より、分かりやすい構図のほうが届きやすい。

怒りや嘲笑を伴う言葉は、広がるのも早い。

そして、それがお金になるとか。悪い冗談ですよね。

そう考えると、こうした流れは、

誰か一人の問題というより、

今の環境そのものが生み出している面もあるのでしょう。

 

だからといって、

「仕方がない」で済ませていいのかは、別問題ですよね。

このやり方が、本当に社会を前に進めているのか。

分断を深めているだけではないのか。

 

ただ、日々人と向き合う中で感じるのは、

“一人一人”の人は、

大事な場面ほど、言葉そのものより、

その奥にある姿勢を見ている、のかな、とも感じます。

何を批判するかより、

どう向き合おうとしているのか。

そこに、安心や信頼が宿るかどうか。

 

選挙も、本当はそういう場なのかもしれない。

勝ち負けだけでなく、

「どう語る人なのか、そして、その理想にどうやってむかっていってるのか」を示す場。

だからこそ、

誰かを下げることでしか語れないやり方には、

どうしても引っかかりが残る。

っていうか、そういう人たちの口から、「戦争反対」とか「世界平和」とか「国民のために」

とかっていう言葉が発せられても、矛盾しか感じないですよね。

 

どうしても、”群れ”になると

表面的な刺激の強い言葉に流されてしまう。

多分、それって、自分のなかのいろいろな責任とか大事なものが

別の何かにすり替わってはいないでしょうか。

自分で決めたことなら、

案外間違った選択だったとしても、自分の力で改めていけるものです。

 

って、日々、自分に言い聞かせています(笑)

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