~可愛がる気持ちは変わるのか~
AIの進化によって、ペットや動物が「何を考えているのか」を可視化しようとする試みが、少しずつ現実味を帯びてきました。
表情や行動、脳活動などから感情や意思を推測し、「理解」に近づこうとする技術です。
もし本当に、ペットの気持ちが分かるようになったとしたら。
私たちは今と同じように、変わらずペットを可愛がれるのでしょうか。
正直なところ、ペットと人間の関係は、人間側のエゴの上に成り立っている部分が大きいと感じています。
それは愛情であり、同時に都合の良さでもあります。
保護活動や善意の行動でさえ、突き詰めればマッチポンプの構造を完全に否定できない側面があるのではないか、とも思っています(もちろん、個々の活動や人を指しての話ではありません)。
ただし、だからといって、それらの行為を否定したいわけではありません。
たとえ偽善と外野から呼ばれるものであったとしても、自分の中の何かを差し出し、他の生命や生活を少しでも良くしようとする行為は、やはり尊いものだと思います。
けれど、その尊さは一律ではなく、何をどれだけトレードオフしているかによって変わります。
同じ行為でも、置かれた環境や状況によって、重みはまったく違う。
金銭、時間、心の余裕――犠牲にしているものの大きさは、人それぞれだからです。
よって、その内情をすべて知っている人にしか、いえ、そういう人であったとしても、他人がその活動の価値を正確にはかることはできません。
それでも私たちは、相手の内側や気持ちを、つい推し量ろうとしてしまいます。
分からないと分かっていながら、想像してしまう。
そもそも、人と人との関係でさえ、相手の「本当の気持ち」を理解できているかは怪しいものです。
言葉のやり取りがあることで、分かり合えているような感覚を持っているだけなのかもしれません。
さらに、それがペットの場合、そこには言葉がありません。
だからこそ人は、より自由に、より都合よく、相手の気持ちを想像することができます。
その「分かったつもり」になれる余地こそが、エゴなのだとも思います。
それでも、その想像の過程には、「相手のことを考えようとする行為」が含まれています。
その行為自体が、優しさや温かさの源になっているのではないでしょうか。
もしAIによって、本当にペットの気持ちが理解できるようになったとき。
私たちの関係性は、今とは少し違う形になるのかもしれません。
その想像の過程を失ってしまう可能性もあります。
それでもなお、「理解するとは何か」を考え続けること。
分からないまま、分かろうとする姿勢そのものが、人とペットの関係を支えているのだと。
そして、延いてはそれが、世の中を少しずつ良くすることにつながるのではないかと、思っています。
